自分に起きた出来事を必然とおもえれば、自分の人生を受け入れやすくなる
いま、ショーペンハウアーの『意志と表象としての世界』を読んでいます。
19世紀のドイツの哲学者の本です。
そこで、自分を受け入れるためのコツ、についてショーペンハウアーが書いているようにおもったのでそれをシェアしたいとおもいます。
自分でも、自分に起こった出来事でもいいのですが、それを受け入れられない、受け入れたくないことってありますよね。
たとえば、第一志望の大学に不合格になるとか。絶対にその大学に入ろうと思っていたとしたら、なかなか落ち込むのではないでしょうか。
わたしもこの口でしょうか、しばらく何も手に付きませんでした。
また自分の容姿、例えば、太ってしまって、そんな自分の容姿を受けれられなくて、無理なダイエットを繰り返している人もいるかもしれません。しかも周りから見れば、本人がいうほど、おデブさんではないのですが。
これもちょっとぼく、当てはまります。
ショーペンハウアーは、自分に起こる出来事は全て「必然」なのだと言います。
偶然が与えるさまざまな選択肢の中から自由に選び、人生をコントロールするというのが私たちの現実の人生なのでしょうか。もしそうだとすると、私たちは自分の好きな選択肢(自分の理想)にいつまでも執着してしまうことになり、目の前の現実を受け入れることができないままかもしれません。
第一志望の大学にこだわって、何浪もしてしまったり、ダイエットに多額のお金を使ったり、もちろん、本人がしたくてしていることですからいいのかもしれませんが、中には、周りに迷惑かけたり、何よりも自分が苦しくなってくるのではないでしょうか。
ショーペンハウアーならきっとそこで、「君が、第一志望に受からなかったのは必然だったのだ、あきらめなさい」、「あなたが、いま太ってきたの必然のなせるわざなのだ、受け入れなさい」というかもしれません。
必然というからには、理由や原因はありません。そしてそのことがもしその人の人生において必然なんだとすれば、それは、その人にとって「仕方のないこと」なのであって、受け入れるしかないものなのです。
もし自分や自分に起こったことを「今回のことは必然」だったのだと思えることができれば、執着することをやめて、無理することもやめて、また自分を責めることもやめて、やさしくそのことで傷ついた自分と出来事を受け入れることができるのではないでしょうか。
ショーペンハウアーは、「必然」を知ることで苦しみが収まると言っています。
必然というのは、その人の人生の中での必然ということで、ぼくなんかは「運命」と言い換えていますが。
まあ、なんでもかんでも必然だ、仕方がないと言ってしまったら、それはそれでどうしようもないですが。
ぼくなんかは、そういう必然、あるように思いますし、その存在はぼくは救っているように感じます。
あなたの人生の中の「必然」にあなたは気づいていますか?