人生悲喜こもごも

演劇、哲学、うつ、人間関係など、日々感じたり考えたことを書きます。

人とつき合うとは、相手のために自分を変化させること

ぼくは、哲学をかじってきました。

そこで今回は、哲学って何?ってことを書いてみたいのです。なるべくわかり易く書きますのでしばしお「つき合い」ください。

 

「哲学とは態度だ」と言った人がいます。うーん、そうか~

 

ちょと難しいですね、こういったらどうでしょう、

哲学とは、現実とどう関わるかだ。

 

まだ難しいかな、現実とは例えば、他人のことであり、ぼくだったら例えば、

嫁のことです。ぼくには、嫁という現実が大きく立ちはだかっているのです。

 

で、ぼくにとっての問題は、ぼくが嫁とどう関わるかということです。

「関わる」というのも、わかりづらいですかね、関わるとは、「つき合う」ということです。

大事なのは、ぼくが嫁とどうつき合うか、ということです。

 

「つき合い方」って、なんのこと言ってるのと思われるかもしれませんが、つき合い方には、基本二つの方向性があります。

①相手に合わせる

②相手を無視する

あえて、2つ書きましたが、②は結局、相手とのつき合いを放棄することなのであって、つき合うとは①に尽きるのです。

 

しかし実際には、②の場合でも、表面上はつき合っているように見える場合があります。例えば、嫁とぼくは法律上は夫婦で、一緒に暮らしているという場合です。しかし、もしぼくが彼女のいうことを一切聞かず、しかも彼女に暴力でもふるっていおうものなら、それはもう彼女とつき合っているとは言えず、まさに彼女を無視していると言ってもいいのではないでしょうか?

 

①は相手のことを理解しようとすることであり、相手を大切にすることです。それは具体的には、相手の言うことに応えてあげることであり、相手のために自分の行動を変えることなのではないでしょうか。

 

「うん、わかったよ」と返事をするだけなら、誰にでもできます。それは相手のことを聴いてなくてもできることです。相手のことを理解し、応えるとは、頭の理解ではなく、また言葉上の表現の問題ではなく、自分の行動を変化させることなのです。

 

嫁が話をきいてほしいと言ってきたら、その時自分がやっていたことを一旦中断して(行動の変化)、嫁のために時間を取ることであり、嫁がきょうは疲れていて食事が作れないと言ってきたら、ぼくが代わりに食事を用意する(行動の変化)ということなのです。

 

なんでもかでも、相手の言いなりになれといっているわけではありません、ただ相手に合わせるとは、相手のために自分の行動の変化させていくことなのです。

それが相手とつき合うということです。自分が友達だと思う人には多かれ少なかれ相手に合わせているはずです。

 

だから自分中心で片意地をはっていたら、いつまでも、誰ともつき合うこと、関係を結ぶことができません。相手に合わせて、相手につきあって、はじめて相手との関係を結んだ(関わった)ことになるのです。

 

最初の、哲学とは態度だ、に戻ると、哲学とは、現実との関わりのことであり、どれだけ自分が現実に対してオープンでいられるか、つまり相手のために自分の行動を変化させられるか、ということなのです。

 

自分の存在価値が、相手と関わること、相手に合わすこと、相手を生かすことにかかっていると知って、それを生きること、それが哲学なのです。それって、やっぱ態度ということになるのではないでしょうか?なぜなら態度とは、何かある現実への関わりを示す言葉なのだから。