人生悲喜こもごも

演劇、哲学、うつ、人間関係など、日々感じたり考えたことを書きます。

自信をつけるためには、自己卑下する癖を取る必要がある

自分の長所や人から評価されるのを受けとめるのがぼくは苦手なのですね。

 

この間の公演が終わった後、嫁がぼくをほめてくれました。「ここまでみんなをまとめて楽しくやれたのはKさんの力だよ」って。嫁も演劇グループのメンバーなのです。

 

ぼくは、ああそうかなあ、で終わり。せっかくほめてもらったのに、それはあまり自分の中に入ってこないのです。むしろ、そんなことは大したことではない、ささいなことだ、としてしまうのです。過小評価してしまうのです。

 

一方で自分への批判や非難はものすごく真に受けてしまいます。人のネガティブな指摘を何十倍にも大きくとり、自分の体の中にこれでもかというばかりに言い聞かせるのです。ほらみろ、だからお前はだめなんだ!みたいな感じで自分をいびっていしまうのです。

 

これはどういうことになるかというと、

①人のいい評価をスルーしてしまうので、いつまでたってもそれが自信として積みあがらない。

②人の批判を実際より大きく受け取って真に受けてしまうので、ますます自信がなくなり、自己否定感が強まる。

 

どうして、このようなことになるのかと考えてみるに、それは中学時代のいじめのことにつながりがあるとおもいます。随分とバカにされて、見下されました。ぼくはいじめ加害者が怖くて何も反抗できませんでした。そんな彼に、お前ごときが!といつも侮辱されていたので、知らず知らずのうちにそれを内面化してしまって、今では誰もそんなこといっていないのに、おれごときにそんなことあるはずはない、ほめられたとしても些細なことだとおもってしまうのです。いい評価を自分の中に取り込むことを拒否してしまうのです。そして批判されたり非難された場合は、それを真に受けてしまい、ああ、やっぱりぼくはダメだったのかあ、とマイナスのメッセージを妙に自分の中に落とし込んでしまうのです。

 

この「ぼくごときが」「おまえごときが」という声をいい加減消していきたいのですが、なかなか根深くぼくの中にしみついていて、なかなかそれから自由になることができません。

 

少しづつでも、自分のことを大切にできるようになり、自分のいいところを自分自身に認めてあげることができるようになりたいです。

 

それがきっと自信をつけていくことにつながるんだとおもいます。