人生悲喜こもごも

演劇、哲学、うつ、人間関係など、日々感じたり考えたことを書きます。

精神的価値が高いとはどういうことだろう?

自分は精神的価値が高い、そうおもいたいのです。

 

そんな憧れがあります。

 

なんででしょうね。うつもある、収入もない、現実的には何にもいいところがないから、せめて精神的にはいいところがあるとおもいたいのでしょうか。

 

精神的価値って、何かというと、実は自分でもはっきりはわからないのですが、理解の深さみたいなことなのかな、あるいは、人格とか徳、人柄のよさのことを言うのかもしれない。

 

こう書いてみると、自分にはあまりないような気がするけど、でも自分は精神的価値が高いとおもいたいのです。いやな奴だろうか?

 

話がちょと変わりますが、

欲望について考えてみるに、色欲、富の欲、権力欲、知識欲、いろいろあるけど、最終的に行きつくところは名誉欲じゃないかとぼくはおもうのです。

 

名誉欲とはひとから尊敬されたい欲望のことで、これが最大の欲で、しかも大いなる矛盾は、欲望から一番離れているところにあるひとが、一番尊敬に値する人なのではということです。ぼくはそんな風におもいます。

 

そう考えると精神的価値の高さとは、一番欲望から離れたところにあるような人のあり方のことをいうのかな。

 

ぼくが自分を精神的価値が高いとおもいたいのも、やはりそれが何か尊敬に値するもののようにおもえるからなのでしょうか。

 

しかし人間から欲望を取り去ることなどできるのでしょうか?欲望のない人間を人間と呼べるだろうか?欲望あるのが人間なのじゃなかろうか。

 

欲望があるのかもしれないけど、欲望からとても離れたところにいるのが、聖人と歴史上いわれてきた人なのでしょう。イエス、孔子、釈迦、彼らは一体どういうあり方をしていたのだろう。

 

聖人のあり方の話は難しくてとてもできないのですが、どうも精神的価値とは、欲望と離れたところにあるあり方だということが、書いていてわかってきたようにおもいます。そしてそうなると自分が精神的価値が高いというのも、かなり疑わしくなってきました。

 

自分は精神的価値が高いとおもうなら、まずは自分の欲望について考えてみなければならないのだ、ということにおもいいたった次第です。