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人生悲喜こもごも

演劇、哲学、うつ、人間関係など、日々感じたり考えたことを書きます。

自分のことを大切にすることは難しい

演劇 内省

自分を大切にすること、自分にやさしくすることは、なかなか難しいです。

 

ついつい自分のことだと、厳しく冷たくなっちゃうのです。悪意がめばえちゃうのです。

 

今年の初めにやった公演も、ちょっとでも悪い評価を聞かされると、もう目の前真っ暗になってしまって「なんて自分はくだらないものを作ってしまったんだろう!?」と思ってしまい、自己卑下し、作品そのものの出来だけでなく、それまで1年近くかけて準備してきた努力も、くだらいないことのように思えてしまうのです。

ぼくは演出で、出演してくれた7人のメンバーがいるのですが、その人たちにも、ぼくのくだらない演出についてこさせて申し訳ない、と自責の念にかられてしまうわけです。

 

ただ一生懸命やったし、誠意をもって十分準備して作ってきたことに対しては、なんら恥ずかしことはないとおもっているのです。

 

しかし、悪い評価には過剰に反応してしまって、ここぞとばかりに自分を責めたり、冷たい態度をとったりする癖が自分にはあるのです。

 

自分を大切にするとは、自分の親友に接するときのように自分にも接することだ、とどこかの本に書いてありました。

 

もしこれがぼくの親友の舞台だとしたら、彼が一生懸命作ったものに対して、他の人がどういおうが、「君、くだらないものを作ってしまったね」なんて冷たいことは絶対に言わないし、その友人が時間をかけて努力してきたことを尊重し、ねぎらうとおもうのです。

出演者に対しても、上演はうまくいかなかったかもしれないけども、誠意をもって演出したんなら、恥じることはないし、自分を責める必要もないよ、と言って上げれるのではないかとおもいます。

 

それが自分の舞台のことになると、全然そうはおもってあげられなくて、あたかも仇敵のように自分に対し冷酷に接してしまうのです。

 

ひとのことは尊重できるのに、自分にはどうしてやさしくできないの、とおもってしまうのだけど、本当は他人のことも尊重できなくて、ただ外づらをよくしているだけかもしれない、本当の自分は悪意に満ちているだけじゃないかとおもえてもきます。

 

他人に対する悪意も危険なものだけども、自分に対する悪意もそれにおとらず、危険で恐ろしいもののようにおもえます。

 

どうやったらこの悪意というものと縁を切れるのやら。そんなことをおもった夜でした。