20年来の慢性うつ病者の悲願
おそらく慢性の精神疾患者の悲願は、自分の体験と苦労をなんらかの形で社会の役に立てたいということではないでしょうか。
ぼくは、中学のときの10か月間のいじめが原因で、抑うつ状態になり、大学まではなんとか入学したものの、2年生になるころには精神的に破たんしてしまいました。
そこではじめて精神科とつながり、うつ状態だと診断されて、以来20年以上にわたりうつを抱えて生きてきました。
40代も半ばに差し掛かろうとしていますが、仕事についたり、休んだりの繰り返しで、そのつど一生懸命生きてきたのですが、やってきたことはどれもはんぱで、なにひとつプロフェッショナルというものを築けていないのです。
そんなぼくがいままで生きてこれたのは、とてもラッキーだったのだとおもいます。
でもやはりひとに誇れるものがないというのは、とても悔しく残念です。
ぼくのいじめ体験とうつ病は、運命だったのだとおもっています。そしてこのいじめうつの後遺症はこれからも続いていくのだとおもいます。
運命は甘んじて受け入れるしかないけれど、でもぼくはその運命を生かしたいとおもうのです。
こんなぼくだからこそできることがあるのではないか、社会に役立てることがあるのではないか、ぼくは社会の役に立ちたいし、自分の運命をいかして役に立ちたいとおもうのです。
ぽんこつなぼくで、どうやったらそれができるのか、日々苦闘悶々としていますが、でもやっぱりぼくはそれを欲せずには、願わずにはいられないのです。
過去のことはすっぱり忘れて、新しく生まれ変わるのではなく、過去と現在の生きづらさにからめとられながらも、その中で自分を生かしていく道を模索しています。
それがぼくの悲願なのです。