人生悲喜こもごも

演劇、哲学、うつ、人間関係など、日々感じたり考えたことを書きます。

社会人演劇の最大のメリット

社会人演劇もしくはアマチュア演劇のメリットについてはいろいろあるかとおもいますが、最大のメリットは、アマチュアだからこそ、「純粋」に芝居や芸術を、自己自身を追究できるところではないかとおもいます。

 

芝居をやる動機は、人それぞれだとおもいますが、ひとつは演劇という仕方で「自己表現」を追求することです。これは劇作家なら台本、演出家なら解釈とプラン、役者なら演技、ということになるでしょう。

 

これらは演劇を構成する主要素ですが、それらの能力や技術を発揮したり高めたりすることそのものが楽しい、というのが動機でしょう。

 

もうひとつ隠された動機があるとぼくはおもっています。

それは演劇活動という集団創作の場に身をおくことで、自分自身の成長や再発見をしていきたいというものです。

演劇をやる人は気づいているかなしかに関わらず、どこかで自分探しをしているようなところがあり、またそれを通して新しい視野を見つけようとしているようにもおもいます。

それは集団の創作活動だからこそできる大きなメリットだとおもいます。そういう教育的な機能を演劇というものが持っているのだとおもうのです。なぜなら演劇活動は、人間関係を媒介として人間関係を表現しようとする創作活動だからです。

 

ぼくは、アマチュアの社会人演劇活動をやっていく中で、そのような光景を、他の仲間たちの中にも見ているし、なによりも自分自身にとってそのような意義があることを実感しています。

 

社会人演劇の最大のメリットは、そのような動機に根差した活動を、「純粋」に追求できるところにあるとぼくは考えます。

 

純粋さというのがとても大事で、アマチュアであるゆえに経済的な利害が絡まないことで、自分の発揮したい高めたい能力や技術を、ただそれだけのために求めることができるのです。

 

例えば職業俳優だとそういうわけには必ずしもいきません。自分の演技の能力を高めることより、収入を得たいというおもいから自分の広告・営業活動に心が奪われてしまったり、生活費をかせぐことを口実に、かえって日々の稽古をさぼってしまったり、あるいは、うぬぼれや嫉妬心で演技がかえって雑になったり質をおとしてしまう等、その俳優の純粋な演技力追求を邪魔するさまざまなわなが職業演劇の中にはあるのではないかとおもいます。

 

職業俳優になろうとする人たちには、さまざまな思惑や野心があり、必ずしも、演技が好きということだけでやっている人たちだけではないですし、たとえ好きであっても自分の追求したいことをやらせてもらったり、自分が伸びるようなことにチャレンジする場を与えてもらえたりするのはよほど恵まれている人でない限りまれです。

 

その点で、社会人演劇、アマチュア演劇は、純粋に演劇が好きだからやるのであり、演技が好きだからやるのですし、またアマチュアの創作の場も、職業としての思惑や野心に惑わされずに、純粋に自分の好きなことを追求できるのです。

 

自分を知るという意味での自己探求においても同じことが言えます。

利害関係やかけひきなしに演劇の仲間と交わりをもつことができます。それは経済生活中心のいまの日本の中にあって、とても貴重であるし、利害が絡まないからこそ、純粋に仲間のことをおもいやれるし、仲間からも率直なフィードバッグがかえってくるのです。また立場や経済状況からの制約も受けないので、そこでの人間関係は、なんのしがらみもなく、それぞれが一人の人として、つき合うことができるのです。個人的には様々な問題を抱えているかもしれませんが、少なくても、上に述べたようなしがらみからは解放されたところにある場なのです。そこで人は改めて本来の自分を見出し、取り戻せるのかもしれません。

 

こうした、演劇活動そのものにおける活動の純粋さ、および、その場での人間関係そのものの純粋さ、このふたつの意味での「純粋さ」こそ、社会人演劇もしくはアマチュア演劇が持ち合わせている最大のメリットなのではないかとぼくはおもっています。