結果重視で、不幸になっているわたし
結果よりもプロセス(過程)が大事だとよく言われる。
すごくよくわかるし、ぼくもそうしているつもり、、、だったんだけど、どうもぼくは結果をすごく重視する人間みたいなのです。
1月にぼくの主宰する演劇グループの公演がありました。1年近くかけて、稽古して、本番の公演を迎えたのですが、公演がおわっても、いまいち気が晴れず、しばらくもんもんとしておりました。理由は、今回の公演はダメだったんじゃないかというおもいに囚われてしまったことです。お客さんの評判が、つまらない、面白くなかった、というものではないかとおもうと、1年かけてやった達成感よりも、つまらないものを見せてしまったという恥と後悔の念が残ってしまって、なんら喜ぶ気になれないのです。
しかし公演にむけて稽古してきたこの1年間を振り返ってみると、ぼくもグループのメンバーも精一杯がんばっていたと思うし、誠意をもって稽古に臨んでいたとおもうので、公演までのプロセスはなんら恥じるところはないし、誇りにおもってもいいのではないかとさえおもえます。
それなのに、結果が悪かったのではないかとおもうと、それまでの努力がゼロ以下のもののようにおもえてしまってつらいのです。公演のたった2日間で、それまでの1年間がくだらないことのように感じてしまうのです。
一方でそのように感じるのは、何よりもぼくについてきてくれたグループのメンバーに大変失礼なことであって、そんな風に考えちゃいけないとおもうのです。ただ、結果がだせなかったというおもいに囚われしまうと、気分悪くうつうつとしてしまうのです。
そんな話を知人にしてみたら、「Kさんは、結果重視なんですよ」、と指摘されてしまいました。ぼくの中では、プロセス重視でやって、その後に結果が付いてくるまでだ、それは運もあるし、ベストを尽くしたのならそれでいいじゃないかという風に考えられていると思っていたのですが、どうもまだまだだったようです。
そしてつくづく結果重視はつらいなあと思いました。確かに演出者なので結果にこだあることも大事ですが、それによって、それまでの努力や誠意も無に帰そうとするのは、なかなかに自虐的(メンバーに対しては)他虐的です。
その辺も、自分に厳しいというか、自責的な傾向が反映しているのだとおもうのですが。自責的な人が結果重視になるととても不幸です。
まだ気持ちはすっきりしなくて、引きづっているところもあるけれど、改めて、結果重視という自分の傾向を反省して、自分を不幸にしないようになっていければいいなとおもっているところです。