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人生悲喜こもごも

演劇、哲学、うつ、人間関係など、日々感じたり考えたことを書きます。

人の個性が本来意味することとは?

人の個性は、その人の人間関係にあらわれるんじゃないかとおもっています。

 

個性と言っても、人間は「モノ」じゃないから、PCでいえば、CPUがいくつとか、メモリやハードディスクの容量とか画面の大きさとかそういった「属性(能力や特徴)」が個性をあらわすとはおもえません。人間で言えば、身長、体重、容姿、学歴、職業といったものは全部その人の属性だとはいえますが、それとその人の個性とは本来違うのではないかとおもうのです。

 

ぼくは人間とは「人間関係」のことではないかとおもいます。

卑近な例では、大昔のドラマ、武田鉄矢金八先生の言葉、「「人」という字は、人と人とが支えあって、「人」になっている」、が思い出されます。人と人とが支えあっているかどうかは疑問におもうところもありますが、少なくとも、人と人とが関わりあうところ(人間関係)に、人間があるということは言えるようにおもうのです。

 

だとすれば人の個性というものも、その人の属性にではなく、その人の他者とのかかわり方・つきあい方にあらわれるのではないかとおもうのです。

 

人間関係のあり方は、2つにわかれるとおもいます。

①相手を受けいれる人間関係

②相手を無視する人間関係

 

①は、相手を尊重し、親切で、やさしい、関わり方です。人と関わりを持つとは本来このことを言うのではないでしょうか。

②は、相手の気持ちや意見、状況・立場をないがしろにすることです。相手の存在を無視するとは、人間関係のあり方というより人間関係の破たんを意味するのはないかとおもいます。

 

現実の人間関係は、相手を受け入れる一方で、受け入れられない部分、つまり無視したい部分もあるといった、受容と無視の綱引きの中にあるようにおもいます。

 

例えば、友人の努力家なところは、すごい認めるし、尊敬するけど、自慢家のところは、うざいとか。彼女の料理が上手なのはすごいいいのだけど、いちいち干渉することろがいや、みたいな。

 

人間とは、人間関係のことであり、人間関係とはいま目の前の他者を受け入れることにあるのだとすれば、人の個性とは、他者をどれだけ尊重し、受け入れることができるのかにかかっているのではないかとおもいます。

 

したがって、個性をあらわす表現は、人間関係にかかわる言葉、やさしい、親切、謙虚、冷たい、意地悪、傲慢等、といったことばであらわされるのが適当ではないかとおもいます。

 

二枚目だとか、才能があるとかはやはりあくまで属性なのであって、その人の特徴ではあっても、個性をあらわすことばにはならないようにおもいます。

 

人との関わり方、人をいかに受け入れるかに、その人の個性があらわれるというのが今回の記事の結論となります。