セラピスト系のお仕事やってます
きょうは久しぶりに仕事が入りました。
実は本業は、セラピスト系の仕事をやっております。
でも、全然にぎわってないので食べてゆけません。
予約が入らないとできない仕事なので。基本待機状態なのです。
貯金もどんどん減っていくので、それで家庭教師のバイトを週1でいれようかと思っているわけです。
きょうは、今年に入って、8人目のお客さまでした。
電話がかかってきて、いまから行ってもいいですかというので、どうぞどうぞということで、当日受付の当日セッションだったのです。
でもそれも、今年に入ってから、初回は価格を下げて、2回目以降、正常価格で、という風にしたら、やっと少し声がかかるようになったのです。
安売りスパイラルに陥るのがこわいです。
でも、まだかけだしだから、低価格でも、実セッションを体験をさせていただけるだけでも、ありがたいというか、そういうことなのです。
嫁がね、価格下げてでも経験・実績を重ねなさいというので、そうすることにしたのです。そしたら、今年に入って初回の価格をさげてから、お客さまがぽろぽろとくるようになったのです。
でも、まだぼくに力がなく、2回目の正常価格へとつなげることができていません。トレーニングを積みながら、少しずつ進んでいけたらとおもいます。
でも、セッションは、結構たのしいので、この仕事、続けていいのかなとちょっと思えた日でした。
読んでくれてありがとうございました。
家庭教師の登録会に行ってきました
きょうは、家庭教師センターの登録会に行ってきました。
大学生とかがいっぱいいたら、40代のぼくが浮いてしまうのではとおもい、ちょっとやだなと思いましたが、小人数の登録会で他の登録者の目を気にすることもなくはじまりました。
講師登録書と適正検査はよかったのですが、それとならんで、健康調査票というのが入っていたのです。
ぼく、うつ病歴20年選手、そんなこと書きたくない、とおもいましたが、そういうこときいてくるのがあったのですね。
現在治療している病気はありますか?って。ある場合には病名を、いつからから、とかを書かねばならないのです。
うつのことは書かずにおこうかともおもったのですが、調査票の最後のところに、「以上間違いありません」、とかいって宣誓して、署名しなきゃならないのです。後でばれたら嫌だしなあ、万が一具合が悪くなって、うつ病でしたというのはつらいしなあとおもい、素直に書いてしまいました。
それらの書類を出した後、面談でした。4人の登録者のうち、一番はじめにぼくが呼ばれ、健康問題のこと突っ込まれるかとおもいきや、その話に一切触れられず、やりたい希望の曜日や科目などをきかれてあっさり、終了となりました。
うつ病のことはきかれなかったのでほっとしたのですが、周りをよく見ると、ほかの登録の人たちは、ぼくよりも長く面談していて、なんか話し込んでいる感じでした。
やっぱり、ぼくは、うつでNGだから早めに終わらせられて、あとの人たちじっくり聞かれているんじゃないかとおもってしまい、センターの建物出てからどよんとした気分になりました。
やっぱ、うつのことはあくまでも内緒にすべきだったのかなあ。
あと面談を途中にはさんで、学力テストもやりました。参考程度のものということで、都立高校入試程度の問題を、英国数理社の中から、1科目だけ選んで、問題を解き、自己採点して提出するものでした。
ぼくは、英語を選びました。ちょっと自信あったのです。
ところが、熟語を問う問題でわからないところがあって、満点取れませんでした。
くやしい。これだからペーパーテストは嫌なんだと思いました。
そして極めつけは、解答を受け取って、自己採点してから、提出して(BOX)に入れて終了だったはずなのに、こともあろうに、自己採点しないで、提出して、帰ってきてしまったのです。
自分のあまりのドジさ・愚かさに改めて衝撃を受けているところです。
ああ、指示されたこともやらないで、出てきたんじゃ、全然だめだよなあ。
全然だめです。
ということで、ぼくのはじめての家庭教師登録会は、失敗あり、不測の事態ありで、惨憺たるものに終わったのです。
まあ、ほかにも登録会あるから、今回のことを踏まえて、次回に臨みたいとおもいます。
すいません。最後まで読んでくれた方、ありがとうございましたm(__)m
うつ持ち40代未経験の家庭教師への挑戦
そろそろ貯金も少なくなってきて、アルバイトでもしなければならないのです。
家庭教師をやりたいとおもって、いまいろいろな家庭教師協会に登録してみています。
なんで家庭教師などと思われるかもしれませんが、前職で4年くらい前に2年間英語翻訳の仕事をやっていたのです。だから英語力は、大学入学時と同じくらいの力はあると思っているのです。
しかし、いままで家庭教師とかやれる機会がなく、講師経験はほぼ未経験です。家庭教師とか塾講師とかって経験がものをいうようです。20代30代のとき、何度か応募してみたのですが、不採用でした。
それがいまは40代なので、更に難しいかもしれません。
20代は主にうつで寝込んでいたので、アルバイトも仕事もほとんどやっていなかったのです。大学生の時に、塾か家庭教師のアルバイトをやっていたら、実績ができて大学卒業してからも、勉強を教える仕事ができたかもしれないのに、残念です。
もっともぼくが塾講師不採用な理由は、経験だけでなく、面接のとき、敬語を上手に使えなかったこともあるみたいです。父兄と話をすることもある仕事なので、きちんと敬語が使えないといけないそうです。
それと以前言われたのは、「偏差値高めの大学を出ているから、英文は読めるんだろうけど、教えられるの~?」とか言われてしまい、結局、若い子に取られてしまったようです。
更に、小学生中学生の家庭教師は、複数教科(英国数)とか教えられないとダメで、ぼくは、英語か国語しか教えられないから、それでいままで仕事につながらなかったのです。
いまの求人を見ていると、一教科から週一日からOKとか出ているので、それを信じてトライしようとおもいます。
大学時代から、家庭教師とかやってたらなあー、とか、
うつにならなかったらなー、とか、いまさらぼやいています。
読んでくれてありがとうございました。
慢性うつの悲しみと不安
きのうは、アマチュア劇団のの稽古の日でした。
こちらは隔週日曜日に稽古をしております。
ぼくは演出者という立場でやっているのですが、お休みの人がいたので、久しぶりに、読み合わせですが、代役をやりました。
短いシーンですが、なんだかんだで、40分位、代役・代読をつとめたんですが、稽古が終わった後、どっと疲れが出まして、家に帰って、のびていました。
ぼくは、長いこと、うつ病を患っていて、薬も20数年飲み続けています。
病気のせいか薬の副作用のせいかで、激しい運動や、筋肉に負担をかけると、具合がわるくなってしまうんですね。だからもう20代半ば位から、運動や筋力に負担がかかるような作業はずっと避けてきたのです。
それでも30代前半は、レストランで皿洗いを、短い時間ではありましたけど、バイトでやっていたこともありました。軽作業ですが、その程度はだいじょうぶだったようです。
しかし30代後半からさらに体力・筋力が落ちてきているようにおもいます。
たしか4年くらい前も、演劇の稽古で、やっぱり代役で本読みをやったのですが、40分ほどやったらグロッキーになってしまって、稽古が終わった後、へたり込んでいたら、他のメンバーに、Kさん、死にそうな顔してる、と言われてしまいました。
そして昨日久しぶりに、代役やったのですよね。そしたら、やっぱりグロッキーだったわけです。実はきょうも引き続き寝込んでいました。
ああ~、やっぱりぼくはもう役者は無理なんだなあと、改めておもい、ちょっとだけ悲しくなりました。
中学・高校の時も演劇部で、役者やってたんですけどね。
まさか役者としての栄光が10代で終わってしまうとは思わなかった。
でもこのまま慢性うつ、慢性運動不足が続いたら、ぼくの他の部分の健康は維持できるのかとても不安です。
しかしまあ、自分なりにやれることをやっていくしかないのですが。
亡父がいっていました、「なるようにしかならない」と。
明日はまた明日でぼくなりにがんばります。
読んでくれてありがとうございました。
早朝覚醒と嫁の悪夢と夫婦のきずな
きょうは、久しぶりの早朝覚醒で、朝5時に目が覚めました。
でもまだ起きたくなくて、布団の中でうだうだしてたのですが、そしたら隣に寝ている嫁がうなされ始めました。
「あ~、あ~~、おねえちゃーん、おねえちゃーん、おねえちゃーん!!」
3回、おねえちゃんと叫んだところで、嫁は目を覚ましました。
ぼくは、嫁がもう一回叫んだら起こそうと思って、嫁の方を向いてスタンバイしていたのですが、その前に嫁は自分で目を覚ましました。
そして「Kさ~ん」と言って、ぼくの手を求めたので、ぼくはすぐに手を差し出し握ってあげました。
嫁はたまにうなされるんですね。嫁には、5つ年上のお姉さんがいて、小さい頃はいつもべったりだったそうです。なので怖い夢を見たときも、お姉さんに助けを求めるんだそうです。
ぼくはたまたま早朝覚醒していたので、すぐに手を握ってあげれたんですが、5分ほど握っていたので、もういいかなとおもって、手を放そうとすると、微妙に力が入っていて彼女は放してくれません。あれ?まだ怖がっているのかなとおもい、それから更に5分間手を握って、そして手を放しました。
ぼくは、5時半位には布団から出て、自室で動画などを見て、早朝の時間帯を過ごしました。
朝8時過ぎに嫁が起きてきて、朝食を食べ、朝の散歩に二人で出かけました。
嫁の話によると、やはり悪夢だったようです。
とびらの向こうに、お化けがいて、とびらを開けようとするのだけども、それを必死で嫁は開かないように部屋の中から押さえていたそうです。しかし、ついにお化けに押し切られ、部屋の中に入ってきた、というところで、目が覚めたということです。
嫁はぼくが手を握ってあげてたことも覚えていて、最後ぼくが手を放したことを、本当はまだ怖かったから、もう少し手をまだ握っていてほしかったそうです。
以上、今日の早朝での出来事でした。
ちなみに、早朝覚醒があると、二度寝しても、すっきりしないで、昼過ぎから夕方にかけてしんどいのですね。
夜は、観劇に行き、その芝居は面白かったのですが、ぼくはフラフラで、そんな状態で朝ちょこっとあったことをとりとめもなく書かせていただきました。
あしたは早朝覚醒おきないようにっと。
うつ病で7年間寝込んだぼくがアルバイトを始めた理由
大学を2年留年してなんとか卒業したものの、それから3年間は療養生活、別のことばを使えば、ぷらぷらしてた時代が続いたのですが、大量に抗うつ剤も飲んでいたし、副作用もあって、28歳位まで、寝て起きてまた寝ての繰り返しの生活をしておりました。生活は、親が保護してくれていたのです。
27歳をすぎたころから、だいぶ精神的にも楽になってきて、何かはじめなきゃとはおもっていたのですが、なにぶん、過睡眠で、寝すぎでだるくて、また横になってしまうとい悪循環がかなり習慣づいてしまっていたので、それをふりきって、アルバイトなりするのはまだ難しいかなあ、自信ないなあと思っていました。
そんなある日、午後2時位、いつものようにまだぼくは布団の中でゆめうつつな感じでいたところ、母の鉄槌をうけました。
「もう、がまんも限界だー!!!」
と母が叫ぶ声が聞こえたので、部屋に入ってきた母を見ると、母は片手にトンカチをもっていて、それで、ぼくのかけている布団をはぎ取ったかと思うと、ぼくの足を目がけて、トンカチを打ち付けてきました。
「起きろー!起きろー!」
といいながら、トンカチでたたきます。
「お母さん、痛いよ、本当に痛いよー!」
とぼくが言うと、
「痛くしてるんだー!!!」
続けて、
「働けー、働けー!」「起きろー!起きろー!」
母の鬼気迫る形相と気迫に圧倒されて、さすがのぼくも飛び起きて、急いで服を着て、家を出ていきました。
といっても、眠いものはやはり眠いので、近くの公園に行って、ベンチに横になっていたのですが。
その日は、それで少し時間をおいて帰ってきて、終わったのですが、さすがにも何かアクションを起こさないと済まされないなという気になりました。母さん恐いし。
それでとにかく短時間のアルバイトをみつけようとおもったのです。母にもその旨を伝えました。一日もはやく見つけて来い、という感じでした。
当時、ぼくは28歳になっていました。
うつはだいぶ楽になったけれども、だるいし、朝起きれないし、働くのはまだ無理だなとぼくは心の底からおもっていました。だからとりあえずバイトを見つけてきて、それで働く職場とかで倒れたりして、救急車で運ばれたりすれば、さすがの母もぼくのことを理解してくれるだろう、ゆるしてくれるだろう、とおもったのです。
それで職場で倒れるのを覚悟で、バイト探しをはじめました。
体力には自信ないし、朝は起きれないので、短時間で、夕方からの仕事をさがしました。それで見つけたのが、マクドナルドのキッチンの仕事、週2~、1日3時間OK、とあったので、これなら可能性あるかもしれないとおもい、応募しました。
運よく即決で採用となりました。仕事探しはタイミングが重要ですよね。たまたまその時は、人手不足だったようです。週二日20時~23時までの仕事でした。
結果はなんと、1年続いたのでした。
この体験はぼくが大学卒してから、改めて社会へでていく上で大きなきっかけになったことでした。
仕事自体は、7年ぶりのぼくにとってはすごい緊張と恐怖で、本当に慣れるまで大変だったのですが、半年過ぎたあたりからだいぶ緊張がとれてきたようにおもいます。
そして倒れるかと思いきや、意外ともつし、実際一回は倒れたのですが(救急車はよばれず)、倒れたのは、はじめの1か月目位の時で、それ以降は、倒れることもなく週2日3時間のペースで継続できたのでした。
わかったことは、普段寝すぎでだるくて気力のない状況でも、いざ労働をしなきゃいけないという段になると、エネルギーは出てくるものだということでした。これは体験的にわかったことであって、自分の頭だけで考えても、また、ただ人にやさしく助言されたからといってわかるものではないとおもいます。だから、そのきっかけになるようなものがとても重要になるのです。
ぼくの場合、アルバイトを始めた理由は、母のトンカチせっかんでした。
しかしあそこで母のトンカチがなかったらいまぼくはどうしていたろうかとおもいます。
母のトンカチは暴力だけども、親が子どものことをおもって意を決して行った行動は、きっと子に伝わるのではないかとおもうのです。しかもぼくがよくなりはじめて、社会へ出ていきたいというタイミングで、それをするのですから、母親の直観はすごいです。
うつ病で何年も寝込んじゃったら、社会復帰を自力でするのはとても難しいです。
薬はなかなかなくせないし、副作用でだるいし、やはり病気のせいでだるいのかもしれないし。おのずと気分がよくなって、元気が出てきて社会復帰なんてことは現実的にはすごくむずかしいようにおもいます。
なにか強烈なきっかけがないと難しいとおもいます。そしてそれを与えるのに一番ふさわしいのは、やはり親なのではないかとおもいます。
母ももう80歳、もう今度はさすがにトンカチで殴る元気もないとおもうけど、母からもらったトンカチのあじ、いつまでも忘れないでいたいとおもいます。
母さん、ありがとう。
嫁との散歩、小さな幸せ
きょうは、東京、主に新宿は暖かったです。
いつもは朝行くんだけど、きょうは夕方嫁と近くを散歩してきました。
新宿だけど、ちょうど見晴らしのいいところがあって、そこのベンチに座って、二人でぼーっとしてました。20~30分かな。
嫁は、この間の日曜日、12日間のニュージーランド旅行から無事帰ってきました。
長めの休暇も今月いっぱいで、3月からまた新しい職場で働き始めます。
嫁の休みの間、ほぼ毎日一緒に散歩に出かけていました。
コンビニで、飲み物とか買ってね、ぼくは主にドリップコーヒー、嫁は午後ティーが多いかな。
ベンチに座って、街の風景を眺めながらぼーとしたり、なんとなく思ったことを話したり、話したかったことを話したりしていました。朝だと陽が当たっているところをみつけて座るのです。気持ちいいです。なんとなくお互いを大事にしている感じが伝わります。
まあ、仲いいんだろうし、そんな風に散歩できる時間があったり、一緒に散歩できる相手がいるというのは月並みですけど、幸せだなとおもいます。
きょうはこれから嫁と二人で観劇に行ってきます。知人の出演する舞台です。
30過ぎてから、劇団員になって、がんばっている知人にもエールを送ってきます。
とりとめのない話でしたが、それでは。