人生悲喜こもごも

演劇、哲学、うつ、人間関係など、日々感じたり考えたことを書きます。

嫁を大切にしなければならない理由

ぼくは39歳で結婚したんですが、実は籍をいれたときは無職だったのです。

 

しかもうつ持ちの男です。

 

彼女から結婚したいと言われたときは、これは大変なことだとおもいました。

 

そこで、とうの昔にぼくの結婚はあきらめていたおふくろに聞いたんですよね、半分ジョークで。

 

「彼女は、こんなぼくと結婚したいというけど、彼女は、バカなのかなあ?それとも、ぼくに魅力があるのかなあ?」

 

おふくろ曰く、

「わたしの知ったことかー!」と。

 

でもその後で。

「お前を引き取ってくれるのなら、のし付けてくれてやらあ」

 

それでほんとにのしつけて、もらわれていったのです。

 

結婚して6年目ですが、彼女は、いまだに、

「あなたはいいひとだ」といってくれます。

 

そんなこと言ってくれる嫁ってめずらしいんじゃないかとおもうのだけど。

 

これはのろけなのだろうか?

 

ひょっとしたらぼくは本当にいい人なんじゃないかしら。

 

ということで、引き続き、

 

嫁のことは、大切にするしかない、ですね。

 

 

俳優修業者にとって一番大事なこと

20代のころ、役者の養成所に通っていました。フリーの演出家が小人数でやっている私塾でした。

 

ぼくはというと入所したとほぼ同時にうつ病で精神科にかかることになったので、あんまりしっかりと稽古できず、出来の悪い塾生でした。そのときの演出家とは、演劇の師匠としていまでもお付き合いさせていただいています。

 

その師匠が当時稽古場で話された言葉をいまでもよく覚えています。その中で印象に残っていることをひとつ書きたいとおもいます。

 

「俳優修業者にとって一番大事なことは、自分の演技の質を高めることだけだ」

 

演技の質を高めるために、どうしたらいいかを考え、実行すること、これに尽きるというのです。当たり前と言えば、当たり前ですよね。俳優は「演技する」という仕事のなのだから、その品質を高めていく努力をすることは当然ですよね。

 

師匠が言いたかったのは、その当たり前のことをしていない俳優の卵が多いということだったのではないかと思うのです。

 

俳優志望者に多いのは、稽古よりもオーディションを受けることだったり、やみくもに舞台に立つことだったり、実力が伴わないのに、自分を売り込む方に熱心なことです。

 

オーディションも確かに大切ですが、実力がないのに大きなオーディションを受けても結果は明らかなわけです。1万人に一人の才能のある人は別ですが、自分がそれだけの素質がないというのは、そういうのを2、3回受ければわかることです。だったら素質が足りない部分は、地道に勉強して演技力を高めていくしかないのです。すぐ売り出せるだけの素質が自分になければ、役者はやめるという人は別ですが。

 

舞台に立って経験を積むと言っても、やみくもに舞台に立てばいいということではありません。自分の役者としての実力をあげてくれるような公演に参加しなければ意味がないのです。

自分の実力を上げてくれる公演とは、本物のプロの役者が出ている、あるいは明らかに自分より力量のある役者が出ている公演、有能な演出者が演出している公演のことです。

演出者が有能であるかどうかを見極める手段は、事前にその演出家の公演をみることです。それで面白かったなら、その演出家の芝居に出演させてもらえばいいでしょう。プロと名乗ったり、普通にチケット代をとっているからと言って、そのグループの俳優や演出家が一緒にやるに値するかどうかは、全くあてになりません。あくまでも自分の目で見てこの人なら一緒にやりたい、自分の実力が向上するという舞台に出演すべきなのです。

 

現実には、プロと標榜していても、それに値する実力のない役者と演出家で構成された劇団や公演は星の数ほどあって、それらの公演に出演しても、プロを目指す俳優志望者にとっては時間のむだなのです。質の悪いグループの公演にいくら出ても、俳優としての実力は上がらないのです。そんなところでどれだけ経験を積んでも演技の質は上がっていかないのです。

そういう舞台に出るくらいなら、まだバイトして演技の勉強やいい舞台の出演の機会があったときのために貯金に回した方がいいのです。

 

問題は、ただ舞台に出るというだけなら、誰でもお金と時間を確保できれば、出演できてしまうという今の日本の演劇事情と、1万人に一人の才能ばかり探すことに熱心で、そこからはこぼれたけど、時間をかけて育てればいい役者になるかもしれないという俳優の卵の可能性を育てようとしない、日本の芸能関係者の商業主義です。

 

俳優への道は厳しいものだけども、現実をしっかりみて、自分がいま何をしなければならないかということを基準に、修業していってもらえたらと願います。

 

 

対人恐怖傾向と自己否定感はつながっている

人とつながっていくのが苦手です。対人恐怖傾向があるからだと思います。

 

演劇グループを主宰して、数年が経つのですが、いつまでたっても、横のつながりができません(グループ関係者とのつながりはあるのですが)。まあそれはそれで理由がないわけではないですが、特に人との協働というのが苦手なのです。声をかけたり、歩み寄ったりするのが。

 

やっぱり、人の目が気になっちゃうんですね。ぼくなんかが声かけても、「なんだお前は」「お前ごときが」と思われてしまうのではないかと思ってしまい、声がかけられなくなり、委縮してしまうのです。

 

それはイコール、「ぼくごときが」とおもってしまうぼく自身の内面を投影しているのだろうとおもいます。

 

もともと過去のトラウマで、自分を卑下する癖があるのですが、それを強化しているのが、現在収入をえる活動ができていないということだとおもいます。

 

一応収入がなくても、いまのところ生活ができてるのです。そういういまだからこそ何か力をつけて、それこそ努力して、収入に結びつけられるようにがんばらなければならないと強くおもっているのですね。しかし実際には、そこまでがんばれなくて、無為に過ごしたり、無駄にお金使ったりしている自分がいて、そんな自分が認められなくて、許せなくて、それをぼくは恥じているのです。

 

なんていうんですかね、みんな必死で生活のために苦労しているのに、そういう意味での苦労をしていない、または努力が半端にしかできていない自分に対して、自責の念がわいてくるのです。

 

そうなるとそんなだめな恥ずかしい自分が、ひとに歩み寄るというか、声をかけても、「なんだお前は!」と言われてしまいそうで、恐れが出てしまって、前へ出ていくことに臆病になってしまうのです。

 

ひとつ今日わかったことは、自分は、頑張らなきゃいけない、頑張らないのはダメだと思っている、ということです。

頑張れない自分はだめだとおもっているのですね。しかし本当に、がんばれない、その意味で、できない自分というのはダメなのか、本当にそうなのかということを考えています。

 

他人のことは寛容になれるんですけどね、つまり頑張ってないからと言って人をダメな奴だなどとおもわないのです。しかしどうしても自分のことになると頑張れる自分であってほしいのだとおもいます。そしてがんばれない自分はゆるせない、だから責めるみたいなことの繰り返しだったようにおもいます。

 

そして自責の念や自分はダメだという自己否定感がつよくなると、対人恐怖傾向も強まってしまうようにおもいます。

 

少しづつでもいいので、頑張れない自分や、できない自分をそのままの自分としてやさしく受け止めてあげらるようになりたいです。

 

うつ病は、家族にとってもとてもつらい病気だということを改めておもう

ぼくが具合が悪いと、それと連鎖するかのように嫁の機嫌もナナメになり、つらそうなのです。ぼくは常々、ぼくの落ち込んだ状態にいちいち嫁が反応してほしくないと思っています。

 

うつ持ちが落ち込むのは、普通のことであって、しいて言えば、おなかがすくのと同じように気分が落ち込むのであって、ぼくにとってはそれくらい日常的におこることで、そういううつと長々とつき合ってきたわけです。

 

しかし、近しい人や大事な人に、精神的に落ち込まれるというのは、ぼくが思っている以上に相手にとってはやはりしんどいものなんだなあと改めておもいます。

 

母がかつてぼくにこう言ったことがあります、

「なにがつらいって、あなたに落ち込まれることほどつらいことはない」

もう10年以上前に言われたことだと思いますが、気丈な母ですが、そう言われて、はっとさせられたことがあります。

 

5年前に一緒になった嫁にも、まあ同じことを言われており、彼女とはそんなに長い付き合いではないので、嫁自身がまだぼくのうつを受け入れきれていないところがあり、ぼくがうつで落ち込んでいるのを見るととても心配になるのだとおもいます、つらいのだとおもいます。その一方で、ぼくのこれは、いつものことだから、いちいち気にしてほしくないなあというという思いがぼくのほうにはあります。そうじゃないと気持ちよく落ち込めないじゃんという、なんだかおかしな事態になってしまうのです。

 

しかしまた一方で、嫁や母が病気になったり、落ち込んだりしているのを想像してみたら、やっぱりぼくもつらいよなあということに気が付いたのです。

やっぱり家族や伴侶の健康というのは本当に大事で、嫁がちょっとでもどこか具合が悪かったり、落ち込んでいたりすると、ぼくはすごく心配します。昨日も嫁が、最近目が疲れやすくて充血しているからと疲れ目の目薬つけていたのですが、ちょっと眼科に行って診てもらいたいときくと、とても心配だし、ちょっと薬を飲めばすぐ治るようにと、それが軽症であることを心から願わざるをえません。

 

病気されたらいろいろ困るということではなく、やはり彼女の健康が心配なのです、健康であってほしいのです。それは全く母にも言えることです。しかし母の場合もう年なので健康に害があってもおかしくはないとおもっていますが。

 

うつ病は本人がとても苦しい病気だし、自分で言うのもあれだけど、大変気の毒な病気ではあるけど、だけどそれと同じだけ、きっと自分を大事に思ってくれる人にとっても、それを見ているのは想像以上につらいことなのなのだろうなと改めて思いました。

 

うつ病は、うつ病当事者にとってもとてもつらい病気だけど、それに勝るとも劣らないくらい家族にとってもつらい病気なのだと言っても言い過ぎではないようにおもいます。

 

そんなことをあらためておもったのでした。

うつ病者だけど演劇だけは続けてきたのです

未だに自分探しやってます。

自分が何をやるべきか今まさに考えています。

と同時に、それがまだ見つかっていない自分に、生計をたてられていない自分に、

恥を感じます。

 

もう人生の折り返し地点を過ぎてしまい、これから全く新しいことをやるのも難しいということも感じています。

 

おふくろが、「お前はいつまで勉強やっているんだ」といいます。お稽古事はいい加減にしてなんでもいいから稼いで来いと言います。

 

なんかそんなんでも結果として生きてこれたのがぼくです。

ラッキーだったのだろう、ぼくは人としてインチキなのかもしれない、でもぼくは、そのときそのときで一生懸命生きてきたし、その時々のぼくにとって個々の選択はそうするほか仕方なかったことなのだと本当に思っています。決して怠けていたわけではないのです。

ぼくなりに挑戦してきたつもりです。

 

でもまあ、世間的に言えば、プラプラしているだけなのかもしれないし、結局何にも身に付かない半端ものなのかもしれません。

 

演劇は、ぼくの人生の中でおそらく一番長く付き合ってきたことで、やっぱり最後はこの最大の人生の相棒と、何かつるんでやるんじゃないのだろうかと思い始めています。

 

演劇なんて、大した才能もなく、努力もなく、ただ長々と付き合ってきただけのぼくだけど、でもやっぱ、これを通して自分をいかしていく道がぼくにとって一番自然なことなんじゃないかと思えてきました。

 

いまさらかもしれないけど、いま真剣に、演劇との付き合いとこれからを考えています。

 

これこそ非現実的な妄想なのだろうか。

 

いじめうつだけどいい加減自立したい

きょうは、午前中に苦情対応に行ってきたわけですが、すごい緊張するのね、相手が優しくない人だとおもうとびびっちゃうのね。

 

結果的にはね、そんな悪い人じゃなくて、話は結構なごやかにできて、ほんとホッとしたんですが。

 

中学校の時に、いじめられたのがまだ尾を引いているみたいなの、ぼくは意地悪な人がこわいのです。

 

いじめられたから怖いのか、もともと意地悪な人が苦手なのか、たぶん後者だとおもうのだけど、それがいじめ体験でより一層強化された気がします。

 

いつまでたっても臆病者が治らなくて、うつになったりして、仕事もあるようなないようなで、まったくなんで今まで生きてこれたのかわからない。

 

いやわからなくないことはない、おふくろのおかげだ。おふくろは、気丈な男前な性格で、強い人なのです。彼女にぼくはいまだに助けられているのです。もう80です。

ぼくが44ですからね。

 

おふくろとの生活はカウントダウンで、でもなんとかおふくろが生きている間に自立したいんだけどね。

 

もうこの1,2年が勝負だよな~。

 

で、ぼくの中で一番長く付き合いのある、演劇で自立しようかとやっと思い至ったところです。

 

ありゃりゃ~がびーん

 

TMSといううつ病治療法

わたしは現在、最新のうつ病治療法と言われる、TMS(磁気療法)というのを受けています。

薬で治りにくい方や、慢性的なうつに悩まされている方に、希望をもたらす治療法だと言われています。

しかし、保険のきかない高額医療でして、一回の磁気治療40分に4万円位かかります。

わたしは、それを30回セットで受けることにしました。

そうです、合計100万円以上の買い物となりました。

長年の慢性うつをなんとかしたいがために、家族の了解をへて治療を受けることを決断したのです。

いまは週に2回のペースで受けていて、18回目がきょう終わったところです。

効果なのですが、なかなか難しいですね。

気分や体調の安定度合いでいうと、TMSを受けてからのほうが不安定になっており、

きょうも受けた後、なんともいえず気力がわかず、横になりたい衝動に駆られております。そこをなんとかしのいで、スタバでいまこの記事を書いています。

家族の感想は、Kさん、TMS受ける前のほうが安定していたんじゃない、むしろ悪くなってない?と言われる次第です。

TMS治療後に、調子がすっとよくなる時もあり、よくなった時は以前よりも、むしろ調子がいいのですが、TMSをうけて2か月足らずですが、全体からいうと調子が不安定、むしろ不調の時のほうが多いように思います。

なんてこったあ!

まだ10回以上あるので、なんとも言えませんが、あと2か月で、抗うつ剤を減薬してなくすというのはかなり難しそうです。

 

ふぅー