うつ病で7年間寝込んだぼくがアルバイトを始めた理由
大学を2年留年してなんとか卒業したものの、それから3年間は療養生活、別のことばを使えば、ぷらぷらしてた時代が続いたのですが、大量に抗うつ剤も飲んでいたし、副作用もあって、28歳位まで、寝て起きてまた寝ての繰り返しの生活をしておりました。生活は、親が保護してくれていたのです。
27歳をすぎたころから、だいぶ精神的にも楽になってきて、何かはじめなきゃとはおもっていたのですが、なにぶん、過睡眠で、寝すぎでだるくて、また横になってしまうとい悪循環がかなり習慣づいてしまっていたので、それをふりきって、アルバイトなりするのはまだ難しいかなあ、自信ないなあと思っていました。
そんなある日、午後2時位、いつものようにまだぼくは布団の中でゆめうつつな感じでいたところ、母の鉄槌をうけました。
「もう、がまんも限界だー!!!」
と母が叫ぶ声が聞こえたので、部屋に入ってきた母を見ると、母は片手にトンカチをもっていて、それで、ぼくのかけている布団をはぎ取ったかと思うと、ぼくの足を目がけて、トンカチを打ち付けてきました。
「起きろー!起きろー!」
といいながら、トンカチでたたきます。
「お母さん、痛いよ、本当に痛いよー!」
とぼくが言うと、
「痛くしてるんだー!!!」
続けて、
「働けー、働けー!」「起きろー!起きろー!」
母の鬼気迫る形相と気迫に圧倒されて、さすがのぼくも飛び起きて、急いで服を着て、家を出ていきました。
といっても、眠いものはやはり眠いので、近くの公園に行って、ベンチに横になっていたのですが。
その日は、それで少し時間をおいて帰ってきて、終わったのですが、さすがにも何かアクションを起こさないと済まされないなという気になりました。母さん恐いし。
それでとにかく短時間のアルバイトをみつけようとおもったのです。母にもその旨を伝えました。一日もはやく見つけて来い、という感じでした。
当時、ぼくは28歳になっていました。
うつはだいぶ楽になったけれども、だるいし、朝起きれないし、働くのはまだ無理だなとぼくは心の底からおもっていました。だからとりあえずバイトを見つけてきて、それで働く職場とかで倒れたりして、救急車で運ばれたりすれば、さすがの母もぼくのことを理解してくれるだろう、ゆるしてくれるだろう、とおもったのです。
それで職場で倒れるのを覚悟で、バイト探しをはじめました。
体力には自信ないし、朝は起きれないので、短時間で、夕方からの仕事をさがしました。それで見つけたのが、マクドナルドのキッチンの仕事、週2~、1日3時間OK、とあったので、これなら可能性あるかもしれないとおもい、応募しました。
運よく即決で採用となりました。仕事探しはタイミングが重要ですよね。たまたまその時は、人手不足だったようです。週二日20時~23時までの仕事でした。
結果はなんと、1年続いたのでした。
この体験はぼくが大学卒してから、改めて社会へでていく上で大きなきっかけになったことでした。
仕事自体は、7年ぶりのぼくにとってはすごい緊張と恐怖で、本当に慣れるまで大変だったのですが、半年過ぎたあたりからだいぶ緊張がとれてきたようにおもいます。
そして倒れるかと思いきや、意外ともつし、実際一回は倒れたのですが(救急車はよばれず)、倒れたのは、はじめの1か月目位の時で、それ以降は、倒れることもなく週2日3時間のペースで継続できたのでした。
わかったことは、普段寝すぎでだるくて気力のない状況でも、いざ労働をしなきゃいけないという段になると、エネルギーは出てくるものだということでした。これは体験的にわかったことであって、自分の頭だけで考えても、また、ただ人にやさしく助言されたからといってわかるものではないとおもいます。だから、そのきっかけになるようなものがとても重要になるのです。
ぼくの場合、アルバイトを始めた理由は、母のトンカチせっかんでした。
しかしあそこで母のトンカチがなかったらいまぼくはどうしていたろうかとおもいます。
母のトンカチは暴力だけども、親が子どものことをおもって意を決して行った行動は、きっと子に伝わるのではないかとおもうのです。しかもぼくがよくなりはじめて、社会へ出ていきたいというタイミングで、それをするのですから、母親の直観はすごいです。
うつ病で何年も寝込んじゃったら、社会復帰を自力でするのはとても難しいです。
薬はなかなかなくせないし、副作用でだるいし、やはり病気のせいでだるいのかもしれないし。おのずと気分がよくなって、元気が出てきて社会復帰なんてことは現実的にはすごくむずかしいようにおもいます。
なにか強烈なきっかけがないと難しいとおもいます。そしてそれを与えるのに一番ふさわしいのは、やはり親なのではないかとおもいます。
母ももう80歳、もう今度はさすがにトンカチで殴る元気もないとおもうけど、母からもらったトンカチのあじ、いつまでも忘れないでいたいとおもいます。
母さん、ありがとう。