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人生悲喜こもごも

演劇、哲学、うつ、人間関係など、日々感じたり考えたことを書きます。

対人恐怖が起きる理由は恥の意識にあるのでは

最近、再び恥の意識がつよく感じられるようになり、苦しいです。

それは特に対人関係においてつよく感じられるので、人と関わることは結構恐怖です。

 

中学校時代のいじめのトラウマがあります。その体験は屈辱的な体験で、ぼくはとても辱められました。次第に自分が恥ずかしい存在だと思うようになりました。

そして10代後半から20代にかけて極度の対人恐怖症とうつになりました。

 

20代後半になって辱められ体験からくる対人恐怖症とうつはだいぶ収まり、仕事もできるようになり、恥の感情は少し身をひそめていましたが、40過ぎて、最近では、またこの恥の感覚が再燃してきたようにおもうのです。

 

再燃してきた理由は、30代になって一時期かなり普通に勤めていた時期もあり、回復した感があったのですが、それも30代後半になると再び、仕事にあぶれたり、体調も悪かったりで、なかなか経済的に自立することができず、現在も実は、結局その意味で自立できてないぼくがいます。いまだに母に助けてもらい、新しく家族になってくれた嫁にも経済的には助けてもらっているのです。今現在は、きちんとした職はもっていません。

(それで演劇なんかやっているんですが(-_-;))

 

20代のころは、まだ若かったし、自分自身もまだ時間があると思っていました。少し遅れを取っているが挽回できるだろうと思っていたのです。

 

それが、40を過ぎて、世間的には、若い世代というよりは、既に中堅ばりばり世代になり、また同い年の友人・知人たちがしっかり出世しているのを見るにつけ、新たに世間的な意味で、大人になれない自分を恥じる気持ちが出てきたのです。

 

今度も実は、小学校の時の幼馴染と3人で食事することになったのですが、彼らは、家族持ち・子供もちで、しっかり自営で仕事ももっている人たちで、それと比較するとなんかぼくって恥ずかしいなあ、という気持ちにもなるし、ぼくを理解してもらえるだろうか、受け入れてもらえるだろうかという不安がよぎるのです。

 

なんとなく自分を社会に向かって出していくのが恥ずかしいのです。これを世間的な意味での恥とぼくは呼んでいるのですが、それは、世間的・経済的にはまだ未成熟でもよかった20代にはなかったことです。あのころはまだリベンジしてやろうという気満々でしたから。

 

世間的な意味での恥の感覚が出てきた昨今ですが、そうすると再び、いじめで辱められた恥意識と二重に重なってきて、それで再び、対人恐怖が再燃してきたというわけです。

 

対人関係は、人に対して開かないとできないものだけど、恥の意識があるとどうしても自分を閉じてしまうから。対人関係が痛いのです。